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   <title>『静かなる闘志』あおと功英：ブログ</title>
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   <updated>2007-04-26T03:54:05Z</updated>
   <subtitle>社民主義の理念をもとに行動し、行動を通して理念を検証する。そんなことを書き連ねるブログです。</subtitle>
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   <title>「敗者」の言い分</title>
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   <published>2007-04-25T04:04:52Z</published>
   <updated>2007-04-26T03:54:05Z</updated>
   
   <summary>あおと功英です。 見事に完敗いたしました。 しかし、１７２９票もいただけたことは...</summary>
   <author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      あおと功英です。
見事に完敗いたしました。
しかし、１７２９票もいただけたことは、
まさにこれまで支えていただいた
皆々様のおかげです。
心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

      <![CDATA[<br />落選後のここ数日は、関係各所にお詫び行脚に伺っております。我が家のある西荻の街を歩いていても、いろんな方が声をかけてくれので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。<br />
私が選挙に出ることを知った地域の方からは、本当に多くのご要望を頂戴しました。地元の学校を守ってほしい。杉並の自然（三井の森や善福寺）を守ってほしい。今の福祉制度をなんとかしてほしい。区の民営化路線をなんとかしてほしい。セクシャルマイノリティを守ってほしい。そういった皆々様の声を区政に届けることができないかと思うと、無念でなりません。力不足により当選することができず、本当に申し訳ございませんでした。<br />
ただ、私は落選いたしましたが、以下のお三方が区政を厳しくチェックしてくれると思いますので、以下のお三方に更なるご支援をいただきたく思います。<br />
▼小野清人（社民党）
<a href="http://www.onoseijin.net/">http://www.onoseijin.net/</a>
<br />
▼奥山たえこ
<a href="http://www.jca.apc.org/~okuyama/">http://www.jca.apc.org/~okuyama/</a>
<br />
▼すぐろ奈緒
<a href="http://suguronao.seesaa.net/">http://suguronao.seesaa.net/</a>
<br />
ところで思えば、私の訴えていたことは、仮に私が当選していたとしても、これから社会がパッと明るくなる、何かが大きく変わるというものではなかったと思います。地元の学校を守る、自然を守る、セーフティネットを作る。それはむしろ、オリンピックをやりますよ～～という派手さよりも、学校を全面芝生化しますよ～～という派手さよりも、むしろ今あるものをこれ以上「壊さない」、「守る」、ないしは「戻す」ということかもしれません。言い換えればそれは、《改革》・《成長》よりも、「持続可能」な社会にしていくことを訴えたつもりです。<br />
「光の当たらないところ」に光をあてる政治。それはたしかにマスコミのネタにもなりません。社会的な「弱者」を救うこと。しかし救ったところで、《正常》な人の、《フツー》の人の、生活が目に見えてよくなるということはないかもしれません。むしろ悪化するかもしれません。
<br />
しかし、だからと言って、「弱者」を、「負け組」を、そのまま放置しておいてよいのか。すべては《自己責任》と言ってしまってよいのか。
<br />
少なくとも今の政治の流れは、《自己責任》路線＝《格差・不平等》容認路線です。そんなワケで選挙期間中は、パラパラと以下の本を読んでおりました（本なんか読んでいるから落選するんだという批判はご容赦くださいませ・笑）。<br />
<table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/414091081X/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/21Ky-mvspvL.jpg" border="0" alt="幸福論―〈共生〉の不可能と不可避について" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/414091081X/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">幸福論―〈共生〉の不可能と不可避について</a><br />宮台 真司 鈴木 弘輝 堀内 進之介 <br /><br />日本放送出版協会  2007-03<br />売り上げランキング : 2207<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/414091081X/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table>
<br />
「共生」というのは「不可能」である。「私」と「他者」とが「共に生きる」こと、それは「不可能」である。なぜなら、あらゆる社会というのは、何らかの選別と排除を通して作られているからである。
何らかの制度や枠組みを作るということ、しかしそこに境界線を設定するということは、「他者」を排除し、《ワレワレの社会》を作ることである。よって、「他者」との「共生」は、論理的に「不可能」なのである。
<br />
しかし、しかしである。「共生」が「不可能」であるとして、はたして「弱者」を放置しておいてよいのか、「負け組」を生み出し続ける今の制度を続けていてよいのか、ということである。言い換えれば、「共生」は「不可能」なのだから、「格差」は当然なのだから、「不平等」があるのはアタリマエなのだから、別に手当てする必要はないじゃないか！！と言ってしまってよいのか、ということである。
<br />
どーせ「不可能」なのだから、「共生」なんて目指さなくていい。どーせ仲良くなれないんだから、「アジア」は敵視していい！「弱者」はほっとけばいい。「負け組」になるのは《自己責任》だ！
今の社会は、そういう方向性に進んでいる。<br />
「共生」は「不可能」である。しかし、「不可能」だからと言って、排除と選別を正当化した途端、この社会は、他者を蹴落とす競争と戦争が渦巻く社会に《改革》されてしまう。<br />
「共生」は「不可能」であるが、<strong>しかし、「不可避」なのである</strong>！！「不可能」だからと「共生」をアキラメルのではなく、来るべき「共生」に向け、その理念を具体化すること。すなわち、“理念を具体化する不断の改革運動を社会民主主義と位置づけます”（社民党の『社会民主党宣言』より抜粋）。だから私、「あおと」は、この理念を掲げる社民党を選んだわけであります。<br />
「不可能」であると知りつつ、「不可能」なままに行動すること、それはまさに「右翼」の行動原理です。だから私、「あおと」は、社民党は「右翼」を名乗るべきであると思う今日この頃です（笑）。
「光のあたらないところ」に光をあてる。しかしそこに光をあてた途端、その外には「光のあたらないところ」が広がっている。声なき声に耳を傾ける、それが「右翼」である。そんなワケで、選挙のちょっと前から以下の本も読んでいました（社民党のくせに右翼の本を読んでいるんじゃない！という批判はご容赦くださいませ・笑）。
<br />
<table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477620391X/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ec1.images-amazon.com/images/I/21CmzlvrS0L.jpg" border="0" alt="右翼の言い分" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477620391X/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">右翼の言い分</a><br />宮崎 学 <br /><br />アスコム  2007-03<br />売り上げランキング : 5083<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477620391X/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table>
<br />
私の選挙期間中に、伊藤長崎市長が殺害された。１９９０年にも、本島長崎市長が銃撃されている。マスコミは、“言論には言論で”・“言論の自由へのテロ”とみんなでベタに報道しているが、はたしてそれでは、「右翼」には言論の自由はあるのか？言論の場を与えられていない者、この社会でまったく光をあたられていない存在は言論の場を与えられているのか！？、住民に言論の自由を与えないで開発を一方的に進める行政は一体なんなんだ！？などといろいろ考えていた。私は、社民党の一人として、選挙期間中、ずっとこのことを考えていた。
伊藤市長が殺害されるほんの数日前に、私はこの本を読んでいた。少し引用する。
<br />
宮崎学：“本島市長の殺害事件は、本島氏の「天皇の戦争責任」発言がきっかけとなって正氣塾の若島氏が本島氏を銃撃したものだと報道されています。しかし、その一方で本島氏の選挙などの際に、正氣塾が本島氏を応援していたとも聞いています。<br />
正氣塾：“私たち正氣塾と本島さんとは、ごくごく親しい関係にありました。本島さんが初めて市長になったときにスキャンダルが出かけたんですが、それを止めたのは、うちの先代だったんです。（略）そんな関係を断ち切ったのが、本島さんです。そうした状況下で、我々はやむにやまれず、行動に及んだわけです。”
<br />
「やむにやまれず行動に及ぶ」。たとえば、イラクの「自爆テロ」。あれもやはり、やむにやまれずの行動ではないか。テロに対し“言論には言論で”と正論を述べたところで、イスラムの人にはそういう場はないであろう。そのような正論は、あらゆる意見の「違い」に対して、言論の場があってこそ成り立つものである。<br />
しかし今の社会の流れは、どうなっているか。宮崎学氏の文を引用する。
“このデオドラントな社会は「異端」を極力排除するものであり、意見の違いを認めず、同じ顔、同じ考えを強要する。この最もデオドラントな社会こそ、北朝鮮の姿だ。そして小泉政権、これを引き継いだ安倍政権によって、日本は急速にこれに近づいている。少数の強者と多数の弱者に分別され、多数の弱者は、少数の強者への絶対的な服従者、奉仕者としての存在を強要される。これに異を唱えればいじめられ、排除されるのだ。”
<br />
今回、なぜ「あおと」が選挙に出馬したか、それはこの《デオドラントな社会》に「異」を唱えたかったからである。そして負け組としてのワレワレに、言論の場がなかったからである。だからこそ、「やむにやまれず」選挙に出た、とご理解いただけると幸いです。
<br />
もちろん当選するつもりで行動していたが、当選「不可能」とも言われていた。しかし、だから何なんだ、というつもりで行動していた。たとえ「不可能」だとしても、やむにやまれず、「共生」社会のために、行動したのである。以上、「敗者」の言い分である。
<br />
それはおそらく、今回、杉並区長選に出馬された、「とりう千恵」さんもそうなのではないかと思う。とりうさんは、私以上に当選「不可能」な状況であったと思う。しかしそれでも出馬してくれた。心から感謝を申し上げたい。<br />
▼とりう千恵
<a href="http://toriuchie.com/">http://toriuchie.com/</a>
<br />
そして最後に、もう一人。私の同志を紹介させてください。かつてあのダイエーホークスの投手・工藤は、高卒ルーキーの捕手・城嶋のサインを、たとえそれが間違っているとわかっていても、そのサイン通りに投げたという。私も今回の選挙では、それを実践したつもりである。
<br />
ピッチャー青砥にとってのキャッチャーは、年下の生意気なクソガキ、社民党の“問題児”、「いなもりとしなお」であった。
<a href="http://www.geocities.jp/inamori2009/index.html">http://www.geocities.jp/inamori2009/index.html</a>
この当選「不可能」な選挙で、１７２９票もいただけたのは、まさにこの「いなもり」のおかげです。これまで数々の問題を起こし、これからも数々の問題を起こすと思いますが、その際は皆さん、鉄拳制裁でもしてやってください。イナモリ君、ありがとう。
ぜひ次回の選挙で当選されることを期待しております。
<br />
そして最後に。これまでご支援いただいた皆々様、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げるとともに、皆々様の「幸せ」を心からお祈り申し上げます。
<br />
（追伸）
とりあえず私は、シューカツします。求人サイトにすでに３社登録いたしました。これからもワーキングプアとしてがんばります。]]>
   </content>
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   <title>実るほど　コウベを垂れる　稲穂かな</title>
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   <published>2007-04-14T13:43:22Z</published>
   <updated>2007-04-14T14:54:20Z</updated>
   
   <summary>いよいよ明日から、選挙本番となりました。これまで「非国民」！「売国奴」！「うるせ...</summary>
   <author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      いよいよ明日から、選挙本番となりました。これまで「非国民」！「売国奴」！「うるせーよ」！などと数々の批判を受け、時にはへこたれそうにもなりましたが、ここまでこれたのも、ひとえに皆々様のおかげです。そういう言葉を投げつけてくれた皆々様も含め、本当に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。
明日から、地域の皆様には大きなマイクでお騒がせするかと思いますが、何卒ご理解いただけますと幸いです。

      <![CDATA[<br />私、「あおと」は、日本全国《均質空間》化に抗いたいと思っています。どこもかしこも同じ風景、同じ町並み。この杉並区でも、そのような事態が発生しています。<br />
中央線沿いの「文化」、そして井の頭沿いの「自然」、やはりこれらを「保守」したい。憲法を「保守」し、「杉並らしい街」を残したい。そして地域社会の中心、防災の拠点、住民交流の場として、地元の学校という「場」を活かしていきたいと思っています。この郷土を愛する、真の「パトリオッツ」として行動してまいりたいと思っています。<br />
そして、《一部の勝ち組》と呼ばれている連中によって牛耳られているこの社会、そして政治を、ワレワレの手に取り戻すこと。それを成し遂げる所存です。それはまさに、杉並の憲法こと、『自治基本条例』の理念に殉じる行動でもあります。<br />
このまま、そこにどんなに「格差」を広がろうとも、「介護難民」が生まれようとも、漫画喫茶で寝泊りする「若者」が生まれようとも、このまま経済《成長》と称して《成長》路線に突き進むのか、あるいは、人口減少社会＝少子高齢化に対応した「街づくり」を行うのか、言い換えれば「持続可能」な社会にしていくのか、それが問われていると思います。もちろん私の立場は、後者です。<br />
本当にこれまでへこたれそうなこともありました。しかし、そんな「私」を支えてくれた皆々様に多大なる感謝を申し上げます。皆様のため、杉並のため、そして「自分」のために、全力で行動してまいる所存です。<br />
<strong><font color="#0099FF" size="+1">実るほど
コウベを垂れる
稲穂かな</font></strong><br />
決して調子に乗ることなく、実れば実るほどコウベを垂れる稲穂のように、地道にコツコツ、地域の皆様との対話を繰り返しながら、行動してまいります。
これまで、本当にありがとうございました。そして今後ともご指導・ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。<br /><br />
（追伸）
『あおと功英事務所』
住所：西荻南2-25-9
ＴＥＬ：03-6768-0412
「西荻南郵便局」の前にあります。→地図は<a href="http://www2.wagamachi-guide.com/japanpost/search/syousai.asp?ID=6187">こちら</a>
いつでも皆様のご来場をお待ちしております。<br /><br />
]]>
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   <title>社会はどーせ変わらない</title>
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   <published>2007-04-07T18:33:46Z</published>
   <updated>2007-04-07T19:53:42Z</updated>
   
   <summary>社会はどーせ変わらないじゃん。 とナウなヤングに飲み屋で言われました。政治と宗教...</summary>
   <author>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      <![CDATA[<strong><font color="#FF0099">社会はどーせ変わらないじゃん。</font></strong>


とナウなヤングに飲み屋で言われました。政治と宗教ネタは禁句の飲み屋で最近よくからまれる。みんな不満が溜まっているんだろうと感じる。その人の不満は、怒りは、どこから来るのか、それを見極めたいと話を聞きながらいつも思う。]]>
      <![CDATA[
<strong><font color="#FF0099" size="+3">社会はどーせ変わらないじゃん。</font></strong>


しかし、そのナウなヤングの思いとは裏腹に、社会はどんどん変わってきた。《改革》という言葉が象徴するように、社会は《改革》され、変わってきたのである。


社会はどーせ変わらない。そうであるならば、この社会で生きていくためには、自分を変えるしかない。自分を変えることができないのは、自分の責任、《自己責任》。社会で認められ、他人（市場）に評価される人間になれるよう、自分を変えていくしかない。


《自己啓発》の本を読めば、時に“やる気”は出る。クスリを飲めば、時にテンションが上がる。ミクシー（ＳＮＳ:Social Network Service）や出会い系をやれば、なんとなく寂しさは癒すことができる。いずれにせよ、自分は変わったように感じる。しかし、そのテンションは続かない。
この変わり続ける流動的な社会で生きていくのは、正直シンドイ。


《自己実現》できるかどうかは、《自分》次第。しかしこの社会で《自己実現》するには、シゴトを通して市場に評価される人間になるか、カイモノを通して《自分》を満たすか、それくらいしかないのではないか。《シゴトによる自己実現》と《消費による自己実現》。すべてが数値化され、モノもココロも「売ってはならないもの」も価格表示されるこの《消費社会》において、《自己実現》。しかしその実現すべき《自分》というのは、「自分」ではなく、市場によって規定された《自分》でしかない。すなわち、この社会で《自己実現》するということは、逆に言えば、「自分」を捨てることではないのか。この社会で《自己実現》しようとすればするほど、この世にただ一人の「自分」を捨て、市場でいつでも他人と交換可能な《自分》にならねばならない。


<strong>《自分》が死んでも誰も悲しまない。。。</strong>そういう思いを抱いているヤングによく出会うが、《自分》の替わりはいくらでもこの社会にいるのである。《自分》と同じよな人間は市場にいくらでもいいるのである。何か条件を入れて、検索すれば、いくらでも見つかるじゃん。
社会で生きていく意味を見出せなくなるのは当然かもしれない。


社会はどーせ変わらないじゃん、と思い込む・思わざるをえない人が増えれば増えるほど、この社会は権力の思うままに《改革》され、どんどん変わっていく。そしてワレワレは、《自己責任》を迫られる。そして《（再）チャレンジ》を迫られる。


社会はどーせ変わらないじゃん。だから、なんとなく、何かやってくれそうな人に投票しよう。そして、当選した何かやってくれそうな人たちはいろいろやってくれた。いろいろ《改革》してくれた。社会をいろいろ変えてくれた。“人生いろいろ会社もいろいろなんです”社会になりました。


私、あおとは、こういう社会にまったく興味がない。市場で評価されることにまったく興味がない。だからこそ逆に、こんな社会は変えたいときわめて冷静に思うのかもしれません。


（追伸）
上記の文章は、飲み屋でからまれて酔っ払いながら書いた文章ですので意味不明かもしれません。
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   <title>「難民」化する被災者</title>
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   <published>2007-03-29T16:02:35Z</published>
   <updated>2007-03-29T16:20:46Z</updated>
   
   <summary>今回の能登半島地震。たしかに死者は少なかった。しかし最近の映像を見ていると、やは...</summary>
   <author>
      <name>aoto</name>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      今回の能登半島地震。たしかに死者は少なかった。しかし最近の映像を見ていると、やはりそれは、被災者が「難民」化していくのではないかという危惧である。
      <![CDATA[<br />政治的にまったく無力な存在の生のあり方を哲学者ジョルジオ・アガンベンは、「剥き出しの生」と呼んだ。現代社会において「難民」たちは、政治的に無力になることを通じてかろうじて生き延びることができる。<br />
<strong>『魂の労働　ネオリベラリズムの権力論』（青土社　渋谷望）</strong>で、渋谷氏は以下のように述べている。<br />
<table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791760689/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ec1.images-amazon.com/images/P/4791760689.09._SCMZZZZZZZ_.jpg" border="0" alt="魂の労働―ネオリベラリズムの権力論" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791760689/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">魂の労働―ネオリベラリズムの権力論</a><br />渋谷 望 <br /><br />青土社  2003-10<br />売り上げランキング : 93305<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791760689/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br />
“<strong>あらゆるものを個人のリフレキシブルな自己決定に委ねる社会は、結局、何も決定できず、市場の圧力だけが唯一の現実的な基準となる。”</strong><br />
二大政党が推し進める何でもかんでも《自己責任》という政策。それは、「被災」するのも《自己責任》ということなのであろうか。お金のある人は、《市場》を通して、様々な防災対策を行える＝つまりそれは《買える》かもしれない。しかし今や、お金のない人、しかも「地方」の、しかも「高齢者」は、一体どうすればよいというのだ。<br />
渋谷は、さらに言う。
<strong>“自己責任言説がハイ・テンションな自己啓発に結びつくことはきわめてまれである。われわれの経験では、自己責任言説は、より低いテンションの宿命論により親和的である。
自己の運命はもはや手の届かない自己の外部にあり、自分ではどうすることもできないものとして立ちはだかっている。
未来との関係性で現在を位置づける生き方はもうできないという感情は、宿命論を受け入れる素地となろう。”</strong><br />
《自己責任》と言われても、果たして《自分》はどうしたらいいのか。。。こういった想いを抱くものは、決して少なくないはずだ。それは結局、《自分》ではどうすることもできない、そういったアキラメの感情とともに、《宿命論》を受け入れることになる。こういった状況を、渋谷氏は、あの１９９５年の阪神大震災を例に説明している。<br />
<strong>“阪神大震災後、仮設住宅が建設され、多くの被災者が入居した。仮設住宅はいわば国内避難民に対する難民キャンプの機能を果たしたといえる。《仮設》住宅とはあくまで《仮》のものとして設置されたわけである。
しかしやがて、市街地の復旧とともに、くしの歯が欠けるように徐々に人の数は減っていき、高齢者、しかもなかでも他に行くあてのない身寄りのない者だけが取り残されるようになっていった。ある意味で、真の「国内避難民」に相当するのは彼らである。というのは簡単に故郷に《帰還》できる、十分な生活力をもつ者は、もはや「難民」ではないからである。
（取り残された）仮設住宅の住人は、しばしば「わけのわけのからない死に方をする」という。何が「わけのわからない」のか？仮設住宅で多発する死は、限りなく自死に近い事故死や病死だからであり、せっかっくあの大震災から命を救い出された者にとってふさわしくないし、またすべきではない死に方のように感じられるからである。～（略）～これを、すでに仮設住宅で使われていた呼び名にならって「孤独死」と捉える。”</strong><br />
この「孤独死」こそ、これから能登半島で増えていくのではないかと危惧せざるを得ない。死者はたしかに少なかったかもしれないが、「未来」を閉ざされ、《自分》ではどうすることもできない、生きていても仕方がない、と《自分》の《宿命》を受け入れ、孤独に死んでいくものが増えていくのではないか。。。<br />さらに渋谷氏は、ここで《ホーム》という単語に敏感に反応し、《ホーム》が「壊れ」た例として、「強制収容所」、「難民キャンプ」、そして「ホームレス」、そして「仮設住宅」という例を挙げ、これらにおいて《生きていても仕方がない》という感情の共通性を見出す。<br />
ホームレスとは何か？
それは《ホーム＝家》を奪われた存在である。<br />
<strong><font color="#FF3366">《ホーム＝家》を奪われた存在…。それは言い換えれば、「居場所のない」存在である。今、多くの若者も感じている、この社会に《居場所＝ホーム》がないという感覚のことである。</font></strong>
そしてこの社会とは、言うまでもなく、《市場》の圧力だけが唯一の“現実的な基準”となっている社会のことである。《市場》に参加できないものは、言うまでもなくこの《社会》から排除されていくのだ。<br />
“<strong>震災はこのミニマムな人間関係（＝ホーム）を破戒し、彼らを「ホームレス」にし、仮設住宅にいわば棄て去ったのである。この意味でここに残された者たちは棄民となる。また生きる意欲を失うことによって、最終的に彼らは自己自身を棄民に変えてしまう</strong>。”<br />
<strong><font color="#FF3366">居場所がない。ホームがない。</font></strong><br />今、ワレワレは、《自己責任》言説のもとで、ライフラインもセーフティネットも子どもたちの教育も高齢者の福祉も《民営化》され、《市場》の論理だけがまかり通る社会において、結局、誰に頼ることもできず、居場所を失われ、生きていても仕方がないという感覚を抱きながらもはや死んでいるように生きているのである。<br />
<strong><font color="#3366CC">この《自己責任社会》、何としても変える。</font></strong>
この《現実》を仕方がないといってアキラメ、《自分》の《宿命》を受け入れるのではなく、「未来」との関係性において、この現実を変えていくこと、それこそが「政治」であると私は思っているからである。<br />


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   <title>ここ数日の活動報告です。</title>
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   <published>2007-03-21T18:14:50Z</published>
   <updated>2007-03-21T19:02:44Z</updated>
   
   <summary>ここ数日の活動報告です。 動画でご覧くださいませ。...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      ここ数日の活動報告です。
動画でご覧くださいませ。
      <![CDATA[<br />
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<br />まだまだ無名の私ですので、先輩方が駆けつけてくれました。時にはこういった集会もやらせていただきますが、やはり地域のために、住民の皆様に密着して地道に活動を続けてまいります。
理論武装はできています。大政党の進める《改革》という言葉にだまされることなく、たとえ若手の新人であろうとも、即戦力ルーキーとして、気合い入れて行動してまいる所存です。
土井さんがお話されている「憲法９９条」は以下の通りです。
<strong><font color="#3366CC">天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。</font></strong>
<strong>国家権力の横暴を食い止めるもの、それが現在の「日本国憲法」。</strong>今、国家権力が、その憲法を《改正》したいとおっしゃっております。国家権力の横暴に歯止めをかける現在の憲法を、《改正したい》と言うのは当然かもしれません。しかし、それを許すことは、まさに権力の横暴を許すことです。
私、「あおと」は、憲法の「理念」で、この現実（格差社会＝愛国心）を変える所存です。議員には、その憲法を尊重し擁護する義務があります。議員の掲げる行動理念、それは憲法に他なりません。それを無視する、ないしは知らないフリをする議員は、まさに自ら“横暴します”と言っているようなものではないでしょうか。
]]>
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   <title>杉並で考える。</title>
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   <published>2007-03-14T18:58:40Z</published>
   <updated>2007-03-14T19:28:24Z</updated>
   
   <summary>たとえばかつて、筋肉少女隊の大槻ケンジは、“日本をインドにし～てしまえ！”と歌っ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      <![CDATA[たとえばかつて、筋肉少女隊の大槻ケンジは、“日本をインドにし～てしまえ！”と歌った。 <br />
なんでも中央線沿線には、いまでもヒッピー文化が残っており、「中央線はインドに通じている」という言葉もあるとか。 <br />
そういえばインドに行ったことのある友人は、だいたい中央線沿線に住んでいるというウワサも（笑）]]>
      <![CDATA[<br />そんなワケで、かつてインドに行ったことのある私は、言うまでもなく中央線、しかも西荻に住んでおります。ちなみに以上の会話は、哲学者の東浩紀さんと北田暁大さんの対談から引用いたしました。 <br />
かつて西荻の「あおと」の家の近くに住んでいた東氏（東氏と言っても、そのまんま東さんではございません）がこんなことを言っておりました。<br />
“たとえば、西荻窪は古本屋が多いので有名なんですが、そういう店に行くと、思想書とか文芸書とかサブカル本とかえらく豊富なんですね。新刊本屋でも普通に僕の本が置いてありますし。”<br />
はい、そんなワケで「あおと」は、下記の東浩紀氏の本を西荻窪の新刊本屋で買いました。この手の思想関係の本は、TSUTAYAとかスタバとかが乱立している“ファースト風土店”で覆いつくされている街の本屋では滅多に売っていないと思います。が、東氏が言うように、西荻の本屋さんにはやはり売っています。<br />
<table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910747/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ec1.images-amazon.com/images/P/4140910747.01._SCMZZZZZZZ_V46961648_.jpg" border="0" alt="東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910747/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム</a><br />東 浩紀 北田 暁大 <br /><br />日本放送出版協会  2007-01<br />売り上げランキング : 740<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910747/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table><br />
東：“（西荻は）基本的に、サブカル学生か全共闘くずれの団塊オヤジに特化しています。変なところですよ。”<br />東氏が言う「変なところ」、そこに私はトリツカレ、「西荻」に住んでいるわけである。
ところで幼い頃、私は《郊外》に住んでいた。《郊外》の典型は、《国道１６号線》沿いにある街である。ちなみに《国道１６号線》沿いには入間（埼玉）・習志野パラシュート部隊（千葉）といった自衛隊の基地や横須賀（神奈川）や横田（東京）といった米軍基地もあり、一説には首都・東京をぐるっと囲む首都防衛環状道路とも言われる。杉並区には環七・環八が通り、そしてその外周の国道１６号線で、首都東京を“防衛”しているのである。<br />
先日は石原都知事によって、『東京マラソン』と称して“首都東京・大規模軍事演習”が行われたが、そのうち国道１６号線を全線ストップさせ、『国道１６号・２４時間耐久マラソン』や『国道１６号駅伝』などが行われるかもしれない。その際は、私も黄色いＴシャツを着て、ＺＡＲＤの『負けないで』を歌いながら、『愛は地球を救う・２４時間マラソン』をやってみたいと思う。さらにその際は、皆様からのＦＡＸでの声援をお願いいたします。ぜひ、“あおとさんの走っている姿を見て、私も生きる勇気をもらいました”・“感動をありがとう”といったメッセージを送っていただければと思います。私といたしましては、『サライ』を歌い始める時間帯にぴったりゴールできるよう、途中はバスで移動したいと思います。<br />
思いっきり脱線してしまったが、《国道１６号線》沿いの街並みは、つまりどこも《みんな同じ》風景なのである。“ファミレスやジャスコなどの大型ショッピングセンター、ファーストフード店”などが軒を連ねている均質空間なわけである。これを“ファースト風土”化と社会学者の三浦展は言っている。そしてこの《ファースト風土化》が、かつての郊外ではなく、今や東京都内でも進展している。つまり、北田氏や東氏の言うように、《東京という巨大な郊外》ができあがろうとしているのである。<br />
一方、そうした《均質空間》に対し、たとえばこの杉並区、特に中央線沿いの高円寺・阿佐ヶ谷・西荻などは、「匂いのある」街である。杉並区外では、世田谷の下北沢や新宿ゴールデン街などもそうである。<br />
しかし、ここで問題が生じるのである。その典型例が、下北沢の再開発である。東氏が言うように、“杉並区の中央線沿線なんて比較的ごちゃごちゃしているけど、あそこもいつか大幅に再開発される”のだろう。そしてここでの問題とは、「匂いのある街」は、たとえばフツーの住人にとっては、ただの乱雑な場所でしかない、とうことである。<br />
たとえば、西荻駅前の飲み屋街。そこに住民が日常的に行くかと言えば、そんなことはない。あきらかに、子育てしやすい街ではない。しかし、そういう街の「匂い」は残しておきたい。《ファースト風土》化＝再開発させたくない、とも思うわけである。そこに葛藤が生まれるのである。<br />
たとえばこの時期、各陣営・各候補者がこんなことを言っている（私も言っている）。<br />
<span style="color: #FF0066"><strong>《安心して子育てできる街づくり》。</strong></span><br />
しかし、それをベタに実現しようとするなら、明らかに中央線沿線の乱雑な場所は、再開発するしかなくなるのである。<br />
さらに、この杉並区ではこんなことも、各候補者が言っている。<br />
<span style="color: #FF0066"><strong>《合計特殊出生率が２３区内で２１位の杉並区。子どもを安心して産み・育てられる街づくりが必要です》</strong></span><br />
しかし、それをベタに実現しようとするなら、合計特殊出生率の多い江戸川区や江東区といった東京の東側地域のように、工場跡地にワレワレの世代が住みたくなるような高層マンションをばんばん建てて《均質空間》を作るのが最も手っ取り早い施策になるのである。たんに子どもを増やしたいなら、多くの土地を民間に売却し、緑の公園も取り潰し、マンションを建てるのがもっとも手っ取り早いのである。少なくとも、ワレワレ子育て世代にとっては、東京の西側（中央線沿線）よりも、東側（江東デルタ地帯）のほうが圧倒的に人気のスポットなのである。<br />
さらに、こんなことを特にワレワレ左翼はよく言っている。<br /><span style="color: #FF0066"><strong>《障がい者にもやさしい、バリアフリーの街づくり》</strong></span><br />
しかし、それをベタに実現しようとするなら、明らかに駅前のゴチャゴチャしている地域は、バリアフリー化のためにキレイに舗装し、再開発が必要になるのである。<br />
すなわち、<strong>「匂いのある街」＝「古きよき街なみ」＝「個性のある街」＝「面白い街」</strong>というのは、“子育て・バリアフリー”といった論理、さらにこれに“防災やセキュリティ”という論理を持ち出すと、とたんに論理的に維持できなくなるのである。<br />
すわなち、《安心・安全な街づくり》の論理をベタに実行すると、「美しくない」「匂いのある街」は明らかに消失していかざるをえないのである。そして、どこもかしこも同じように《キレイな町並み》＝《東京という巨大な郊外》＝《高層マンションと大型店舗》を作らざるをえないのである。<br />
<span style="color: #FF0066"><strong>“「匂いのある街」を、多様性擁護という観点から擁護するのは難しい”by北田氏</strong></span><br />
つまり、お年寄りも、子どもたちも、みんなにとって安心・安全な街づくりをするとなると、街の「匂い」は消えていただかねばならないのだ！「多様性」のある街、という観点からすると、全共闘くずれに特化している街や若者だけが集う街は消えていかざるをえない。。。しかし、私としては、やはり街の「匂い」は守りたい。<br />
以上のことを葛藤を抱えながら考えると、「とりあえず」の私の意見としては下記のようになる。とても歯切れが悪いです。<br />
▼緑の環境は増やしたい。「匂いのある街」は守りたい。したがって、高層マンションはいらない。よって、杉並区の合計特殊出生率の少なさは、ある程度、受け入れざるをえない。よって少子化対策は、おそらくそれほど必要ない。一方で、子どもが減っているのであれば、むしろその分、手厚く多様な子育て支援を行えるのではないか。<br />
▼駅のバリアフリー・メインストリートのバリアフリーは不可欠である。だからと言って、「匂い」のある地域に入ったら、むしろそこは、工学的にバリアフリーにするのではなく、やはり「人の力」で支えあい・助けあいを行っていただきたい。<br />
▼この杉並区、以上を考えると、子どもが減っていくのは仕方がない。しかし、「若者」は、その「匂い」に憧れて、たくさん全国から集まってくる。しかもその「若者」の多くは、高い住民税は払いたくない、よって杉並区に住民票がない。「若者」が杉並区民になりたくなるような政策として、やはり若者の文化・芸術活動の支援を行うことも必要だと思う。<br />
なんだか歯切れの悪い答弁になってしまい申し訳ございません。皆々様からのご意見・ご要望を聞きながら、もっと深め、勉強してまいりたいと思います。住民参加の地方自治を、「あおと」は実行してまいります。]]>
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   <title>希望は、戦争。</title>
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   <published>2007-03-09T14:48:33Z</published>
   <updated>2007-03-09T15:15:16Z</updated>
   
   <summary>雑誌『論座』で、ある私と同じ年のフリーター・３１歳が、こんなことを言っていたらし...</summary>
   <author>
      <name>aoto</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      <![CDATA[雑誌『論座』で、ある私と同じ年のフリーター・３１歳が、こんなことを言っていたらしい。<br />
〝一部の弱者だけが屈辱を味わうような平和なら、国民全員が苦しむことになる戦争のほうがいい”<br />
思わずこの言葉を聞いたとき、ついつい私も応答したくなってしまった。]]>
      <![CDATA[<br />ある知人が、下記のURLを教えてくれた。<br />
<strong>▼『MouRa┃萱野稔人「交差する領域」』</strong>
<a href="http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html" target="_blank">http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html</a><br />
この記事に登場する赤木氏は、〝31歳のフリーターで、親と同居している。しかしそれが彼には屈辱的でたまらない。そんな赤木氏にとって、戦争は希望だという。なぜか。それは、戦争が社会を流動化し、現状をひっくり返してくれるかもしれないからだ。<br />
〝現在フリーターの若者たちは一生貧困のなかで屈辱を味わいつづけなくてはならない。戦争は、そうした現状をひっくり返してくれるかもしれない「希望の光」なのだ”<br />
上記の赤城氏の主張に対し、ワレワレ『社民党』＋〝それ系”の人たちが応答している。しかし、それは萱野稔人が言うように、やはり赤木氏にとってはただの〝お説教”であり、むしろ逆に、〝彼の感情をかたくなに”してしまうのだろう。<br />
赤木氏は、まさに〝団塊ジュニア”の声を「代弁」しているような気がした。たとえば、三浦展氏はこんなことを書いていた。団塊ジュニアは、〝受験は大変だった。希望する大学にも入れなかった。就職にも失敗した。だが、起業はできる。起業して失敗しても再チャレンジしよう。そう今、国は言っている。”（『難民世代』三浦展・NHK出版）<br />
貧困のなかで屈辱を味わいつづけている、この〝現状”をひっくり返してくれるもの。それが赤木氏にとっては〝戦争”であり、〝再チャレンジするやる気のある人”にとっては〝起業”であり、そして「あおと」にとっては選挙なのかもしれない。<br />
私もよく、選挙で当選すれば〝一発逆転”人生だね、とよく言われる。そんなときは、反論するのが面倒くさいので、〝ハイ、そうです”と言うことにしているが、そういう言葉を聞くたびに、これまで同じような状況にいたものからの〝嫉妬”や〝妬み”というものを、ヒシヒシと感じる。ワーキングプアの31歳が選挙に出るということ、それはまさに〝再チャレンジ”であるかもしれない。まさに、《権力に取り込まれている》、と言えるのかもしれない。<br />
萱野実人が引用している赤木氏の文章を、私も引用してみる。<br />
<span style="color: #FF0099"><strong>〝我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である”</strong></span><br />
萱野稔人は言う。<br />
〝そうした感覚のまえでは、「社会の構造を地道に変えていこう」というような意見はキレイゴトに映るにちがいない。<br />
さらに萱野氏は言う。<br />
赤木氏の〝戦争への希望のうらには、社会に居場所がないという感覚がある。”<br />
<span style="color: #FF0099"><strong>《社会》に居場所がない。。。</strong></span><br />
そして萱野氏は言う。<br />
〝かつて、社会のなかに居場所がない人間に居場所をあたえ、そうした人間の人格を認めてきたのはまさに<strong>右翼やヤクザ</strong>であった。ひとは、正しいことをいう人間に、ではなく、自分を認めてくれて居場所を与えてくれる人間についていく。<br />
萱野氏が言うように、居場所がない人間に居場所をあたえ、そうした人間の人格を認めてきたのはまさに<strong>「右翼」や「ヤクザ」</strong>である。その意味で私、「あおと」は、「右翼」や「ヤクザ」であろうと常々思っている。<br />
そして、いつも感じることがある。地域のことを知れば知るほど感じることがある。社民党の支持基盤は、「居場所のない人間」よりも、むしろ時間的にも経済的にも〝余裕”のある、いわゆる知的なインテリ層の方が圧倒的に多いのではないか、と。ワレワレ『社民党』の〝平和”・〝護憲”。そのメッセージは、まったく「居場所のない人間」には届いていないのではないか、と。<br />
私もよく街頭演説では、キレイゴトを並べ立てている。すわなち、いわゆる選挙に毎回行ってそうな『社民党』ファンをターゲットにした演説をしているのである。選挙で当選することを考えるならば、それが最も手堅い手段なのかもしれない。しかし、そこにはいつも葛藤がある。こんなキレイゴトを並べても、「居場所のない人間」にはただの「ノイズ」でしかないのではないかと。<br />
これまで私は、この社会から「ダメ人間」という烙印をおされてきたものたちに、〝居場所”を与えてきたという自負がそれなりにはある。恥ずかしながら言ってしまえば、宗教者のようなことをしてきたのかもしれない。そういう「居場所のない人間」からおカネを取っていれば、けっこう儲けることができたのかもしれない。ただ、それだけは、ただ単にやりたくなかったので、してこなかった。<br />
いずれにせよ、《社会》に「居場所がない人間」に対して、言葉を伝えるということ。しかし思えば、少なくとも私は、言葉を伝えてきたというタメシはない。ただ、ただ、そばにいただけである。ひたすら話を聞いていただけである。<br />
《社会》に「居場所がない人間」に対して、言葉を伝えるということ。しかし、そもそもそれは可能なのか、といつも思う。つまり、「居場所がない人間」との対話は可能なのかと。むしろそれは、「不可能」なのではないかと。<br />
いつも感じるのは、その「不可能」であるということの悲しさである。なぜなら、自分と居場所のない他者とは「違う」以上、つまり《同じ》ではない以上、そして《わかりあう》ことができない以上、ただただ、私と他者とは「わかりあえない」という悲しさを受け入れるしかないのである。すわなち、《社会》の「外」にいると感じているものたちに、《社会》の中からの言葉を届けるのは「不可能」なのではないかと。（実際は、「フリーター」とはまさに、《社会》の「外」ではなく《中心》で酷使されている低賃金労働者なのだが）<br />
人はえてして、《自分》と「違う」ものに対し、《怒り》でもって応答しようとする。
《自分》と「違う」、その《自分》の思い通りにならない他者に対して、怒り狂うのである。人は《自分》の思い通りにならないものに対してこそ怒る。《幼児的な全能感》が満たされないときに《怒る》と言ってもよいかもしれない。しかし、怒ったところで、何が変わるというのか。赤ん坊なら側にいる大人が寄ってきてくれるかもしれないが、大人がそんなことをしていたらみんなから相手にされなくなるであろう。
わかりあえない、ということがわかっている。「無知の知」なるその絶望的な悲しさを知っている者こそが、その居場所のない他者と「うちとける」ことができるのではないかと思う。<br />
ただ、いつかその「居場所のない人間」に対し「居場所」を与えることができた後に、こう言いたいとも思っている。<br />
居場所はあくまでも居場所にすぎない。そろそろ自分の居場所を、他者に譲ったらどうかと。それが萱野稔人の言う「社会化のプロセス」の一つではないかと、今のところは考えている<br />
そして私としてはまず、この《一部の者たちによって居場所が占拠されている社会》を変えたいと思っている。そして「居場所」をあえて「セーフティネット」と言い換えるなら、その「居場所」があるという「安心」感があるからこそ、ひとまず居場所は他者に譲って、「自分」が「自由」に行動しようと決意できるのではないだろうか。まずはこの理念をもとに、制度設計を行っていきたいと思っている。<br /><br />
<strong>（追伸）</strong><br />
そして最後に。この「キレイゴト」。たしかにその「キレイゴト」を社民党は言っている。しかし、時として、その「キレイゴト」を本気で訴えている先輩方を直接拝見すると、思わず「右翼」的に感染してしまうことがある。意味よりも、そのスゴさに感染してしまうのだ。その一人が、こんど私の集会に来てくださる、土井さんであり、吉武さんであり、新谷さんである。
歌手の新谷のり子さんは、かつてこんな葛藤をしていた。〝私が歌っているのは、ただのキレイゴトではないのか。。。”そんなとき、ある知り合いにこう言われたそうである。<br />
<strong>キレイゴトを歌い続けなさい。</strong><br />
この言葉で、新谷さんは、吹っ切れたとおっしゃっていた。キレイゴトを歌わない「自由」もあるが、キレイゴトをそれでもあえて歌い続ける「自由」、それもまたきわめて大切なことだと思う。<br />
<span style="color: #3333FF"><strong>▼『若い「あおと』に平和への想いを託す会』</strong></span><br />
<img alt="event1.jpg" src="http://aotokoei.com/blog/event1.jpg" width="323" height="104" />
<a href="http://aotokoei.com/event/">http://aotokoei.com/event/</a><br />
参加者まだまだ募集中です！！
お問い合わせは「あおと」までお願いいたします。下記のメールアドレスを、お使いのメールソフトの宛先欄に入力して送信してくださいませ。
<img alt="event1.jpg" src="http://aotokoei.com/blog/event3.gif" width="194" height="23" /><br />
]]>
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   <title>フルキャストスタジアム・グッドウィルスタジアム</title>
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   <published>2007-03-04T17:36:24Z</published>
   <updated>2007-03-04T18:14:16Z</updated>
   
   <summary>先ほど、フジテレビを見ていたら、最近、『ネーミングビジネス』が流行っているとのこ...</summary>
   <author>
      <name>aoto</name>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      先ほど、フジテレビを見ていたら、最近、『ネーミングビジネス』が流行っているとのこと。
      <![CDATA[ちなみに私は、「パリーグ」が好きである。理由は、私が「社民党」を選んだのと同じような理由である（笑）。 <br />

たとえばかつて、こんな試合があった。

南海ホークスVSロッテオリオンズ
＠川崎球場

キャッチャー香川
ピッチャー村田兆治
四番DH門田,,, <br />

みたいなアナウンスが流れたら、もう思わず涙が出てきてしまう。 <br />
DHバナザード
DHリー
みたいなアナウンスが流れた暁には、もう思わずあのバッタみたいな緑色の帽子をかぶって、大阪球場まで応援に行きたくなってしまいそうな勢いである。 <br />

もう、マニアにはたまらない「匂い」を感じるのである。そんな時代が懐かしい、と感慨に耽りたくもなるのである。 <br />

そんなワケで、今ハヤリの『ネーミングビジネス』。なんだか判断を保留したくなる。 <br />

たとえば、西武ドームが、「所沢狭山湖スタジアム」とか「狭山茶スタジアム」とか「もうすぐ秩父ですスタジアム」とかだったら、私は賛成するかと思う。 <br />

しかし、西武ドームが《グッドウィルスタジアム》となり、県営宮城球場が《フルキャストスタジアム》になるというのだから、それはやはり「反対」したくなる。 <br />

グッドウィルにフルキャスト。。。この名前を聞いたら、低賃金労働のワーキングプアのハケン労働者が目の前に浮かんでしまうのである。 <br />今、杉並区でも、なんでもかんでも《民営化》とのことで、様々な「公共サービス」が《民営化》されている。もちろんそこで働いている皆さんは「非正規雇用」。平均時給９００円である。
たしかに《民営化》されれば、利用者は《お客様》として扱われ、なんだか《お客様は神様です》みたいな扱いを受け、《満足》かもしれない。国鉄がJRになったおかげで、挨拶してくれるようになった、みたいに。 <br />
しかしそのおかげで、利益の出ない分野の「公共サービス」はどんどん消えていく。低所得の人は、利用すらできなくなっていく。 <br />

はたして、介護、医療、子育て、こういった分野を《民営化》してよいものなのでしょうか？
もちろん、おカネのある人は、“安心・安全”を民間企業のサービスを通して《買う》ことができます。
しかし、おカネのない人は、“安心・安全”を買うことはできません。すべて《自己責任・自己負担》ですから、負担するおカネのない人は、「不安」のままに放置されます。 <br />

今、“安心・安全”は、《買う》時代です。“安心”する、という“心”を売り買いする時代です。“愛国心”、という“心”の支配が生まれている時代です。
“心”が売買され、管理監視される時代です。 <br />

こんな時代じゃ、「安心」して生きていくことなんて、まったくもって無理だと思います。

]]>
   </content>
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   <title>あの「きっこのブログ」が社民党支持</title>
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   <published>2007-03-02T09:02:25Z</published>
   <updated>2007-03-02T09:33:35Z</updated>
   
   <summary>実は私、「あおと」は、ぶっちゃけてしまうと、これまで民主党に投票していました。し...</summary>
   <author>
      <name>aoto</name>
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   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://aotokoei.com/blog/">
      実は私、「あおと」は、ぶっちゃけてしまうと、これまで民主党に投票していました。しかし、たとえばこの杉並区。民主党はほぼ与党です。思いっきり《新自由主義》です。《自己責任》と称して、憲法２５条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」（生存権）＝セーフティネットをどんどん切り捨てています。あんまり他党を批判して自分の正当性を主張することはやりたくないですが、ちなみに私は、もうこうなったら社民党しかないでしょ！！ということで、一昨年「社民党」に入党いたしました。
      <![CDATA[<br />
ところで、あの『ゴーマニズム宣言』の小林よしりんが、あの保守系雑誌『SAPIO』でこんなことを書いております。<br />
“主体性を完全に喪失した今の日本、日米同盟・絶対主義、アメリカ追従の日本では、憲法改正は米英と共に侵略戦争にも加担する「醜い国」をつくる契機になりかねない。
憲法改正が「自主独立」のためでなく、「日米同盟の強化」のものであり、米国の属国化を進めるものならば、わしは「護憲派」にはならないが、「現時点での憲法改正に反対」の立場に回らねばならない！
侵略戦争をアメリカと共にやるのか？
日本列島をアメリカ本土の防衛の楯として利用するのか？
この二問に明確な回答が得られぬ限り、わしは憲法改正には慎重な姿勢をとらざるを得ないだろう。”主体性を完全に喪失した今の日本、日米同盟・絶対主義、アメリカ追従の日本では、憲法改正は米英と共に侵略戦争にも加担する「醜い国」をつくる契機になりかねない。憲法改正が「自主独立」のためでなく、「日米同盟の強化」のものであり、米国の属国化を進めるものならば、わしは「護憲派」にはならないが、「現時点での憲法改正に反対」の立場に回らねばならない！
侵略戦争をアメリカと共にやるのか？
日本列島をアメリカ本土の防衛の楯として利用するのか？
この二問に明確な回答が得られぬ限り、わしは憲法改正には慎重な姿勢をとらざるを得ないだろう。”<br />
さらに、あの『きっこのブログ』も「社民党支持」を表明しています。
<a href="http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/03/post_255b.html"target="_blank">http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/03/post_255b.html</a>
“‥‥そんなワケで、あたしは、政党で言えば、社民党を支持してる。それで、何で社民党を支持してるのかって言うと、過去に書いたことを何度も繰り返すのはメンドクサイんだけど、ロクに過去ログも読まずに人を批判するアホがいるので、念のために書いとくと、医療や福祉に関する政策理念が、すべての政党の中でもっとも理想的なのが社民党だからだ。”
“拉致被害者を支持率稼ぎに使いながら、「障害者自立支援法」だの「リハビリ打ち切り制度」だので社会的弱者をイジメ続けてる自民党なんかよりも、社民党のほうが何万倍もマシだと思って支持してる。”<br />
私もよく、選挙に受かりたいなら、民主党のほうがいいのではないか！？と友人・知人に言われます。しかし私は、民主党で受かっても意味がない。政治屋になるつもりはない。この杉並区議にも、これまで無所属だったのに、選挙間際に民主党だの自民党だのに鞍替え？する人がたくさんいます。まったく
「理念」もへったくれもありません。ちなみに私は、社民党の掲げている「理念」を掲げて政治を行うことこそ、自分の使命だと思っています。
もうこうなったら社民党しかない！社民党の一人として、それがたとえ自分にとってマイナスイメージになろうとも、社民党の「理念」を実現すべく、行動してまいりたいと思います。
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   <title>ロックンローラー</title>
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   <published>2007-02-28T18:08:25Z</published>
   <updated>2007-02-28T18:12:56Z</updated>
   
   <summary>街頭演説をやっていると、いろんな方が声をかけてくれます。ありがたいかぎりです。も...</summary>
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      街頭演説をやっていると、いろんな方が声をかけてくれます。ありがたいかぎりです。もちろんダメ出しもいただきます。ありがとうございます。もちろん、うるせー！と耳打ちしてくる方もいます。ありがとうございます。なんとか私も、もっと上手に演説をできるようになりたいです。
そんなワケで知り合いのブログを見ていたら、きわめて革命的な演説を紹介しておりました。やっぱり私も、ロックでいこうと思いました。
      <![CDATA[<object width="425" height="350"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/3BLp1IUEkik"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/3BLp1IUEkik" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="425" height="350"></embed></object>

パワー　トゥー　ザ　ピーポー
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   <title>そういう「もの」に、「私」はなりたい。</title>
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   <published>2007-02-26T17:25:01Z</published>
   <updated>2007-02-26T17:38:47Z</updated>
   
   <summary>宮沢賢治の詩をかみ締める。...</summary>
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      宮沢賢治の詩をかみ締める。
      <![CDATA[<br />
雨にも負けず　風にも負けず<br />
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち<br />
欲はなく　決して瞋(いか)らず<br />
いつも静かに笑っている<br />
一日に玄米４合と　味噌と少しの野菜を食べ<br />
あらゆることを自分を勘定に入れずに<br />
よく見聞きし　分かり　そして忘れず<br />
野原の松の　林の蔭の　小さな茅葺きの小屋にいて<br />
東に病気の子供あれば　行って看病してやり<br />
西に疲れた母あれば　行ってその稲の束を負い<br />
南に死にそうな人あれば　行って怖がらなくてもいいと言い<br />
北に喧嘩や訴訟があれば　つまらないから止めろと言い<br />
日照りのときは涙を流し　寒さの夏はおろおろ歩き<br />
みんなにデクノボーと呼ばれ<br />
ほめられもせず　苦にもされず<br />
そういうものに　私はなりたい<br />]]>
   </content>
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   <title>お前は殴られたら、殴り返さないのか！？</title>
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   <published>2007-02-20T17:37:37Z</published>
   <updated>2007-02-20T18:52:30Z</updated>
   
   <summary>もう、かれこれ１０年くらい、風呂ナシの家に住んでいる。よって私の日課は、お風呂屋...</summary>
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      もう、かれこれ１０年くらい、風呂ナシの家に住んでいる。よって私の日課は、お風呂屋さんに行くことである。この時期になると、新生活を始めようというナウなヤングが、お風呂屋さんにやってくる。もちろん、前を隠しながら。それを見ながら、私は、ニューフェイスが来たな、と不敵な笑みを浮かべるのである。
      <![CDATA[ <br />
それにしても、イマドキのナウなヤングは、一人で風呂にやってこない。なぜかみんなでやってくる。ペチャクチャしゃべりながら。これだからイマドキのヤングはダメなんだ！！風呂屋くらい一人でやってこい！！前を隠すんじゃない！！と石原都知事的に思わず言いたくもなるが、そういえば自分もそうだった。。。と妙に青春時代を思い出し懐かしむのである。 <br />
まったくうるせーなー、このクソガキども！！と心の中でつぶやいていたら、隣のオジサンが、一発かましてくれた。 <br />
うるせーーーい！！お前ら、静かにせーーーい！！ <br />
私は感動した。オジサン、頑張れ～～～と思った。そうしたら、あろうことか、私に対しオジサンが話しを振ってきた。 <br />
な～～。まったく最近の若い連中は、静かに風呂にも入れないのかな～。そう思うよな～。 <br />
あおと：えっ？あ、まー。 <br />
あれ～君、どっかで見たことあるなーー。 <br />
あおと：（ヤバイぞこれは） <br />
あれ～君、よく駅前でしゃべってないか？（風呂中にこだまするデカイ声で） <br />
あおと：えっ？えっ？あ、あ、まー。思わず私は、恥ずかしさから前を隠したくなり、思わず前傾姿勢になってしまうのであった。  <br />
あ～お前！！社民党かーー！！！（さらに風呂中にこだまするデカイ声で） <br />
あおと：（ついに来たかと思った）<br />
社民党も、まったく平和、平和、うるせーんだよなーー。<br />
あおと：（オジサンもウルサイです、とは言えず）<br />
平和、平和、言ってりゃいいってもんじゃないだろ～～。大体、君、殴られたらどーするよ？殴り返すだろ？だったら、殴られないようにしとかないとダメなんじゃないか！？<br />
あおと：えー、まー、たしかに。私も殴られたら、思いっきり殴り返すと思いますよ。一応、私も体育会系なんで、生意気なクソガキには、鉄拳制裁もしますよ。（多分、実際はそんなことありません）（本当は、マハトマ・ガンディの「非暴力・不服従」のことでも話せばよかったのですが、、）<br />
えっ？キミ、社民党じゃないの？平和じゃないの？そんなこと言って、大丈夫なの？<br />
あおと：大丈夫だと思います。っていうｊか、<strong>個人と国家はまったく別次元の話です。</strong>個人の正当防衛は、その特定の当事者に対し、反撃するものです。 <br />
ところで最近、個人の話と国家の話を同一レベルにしてしまう議論が多いような気がします。個人に残虐性があるからと言って、国家の戦争を正当化するのは、きわめて短絡的な考え方です。また、人間には残虐な側面があるかもしれませんが、だからこそ、理性と知性によって戦争への欲求を抑え、お互いに共存を図ろうとするのではないでしょうか？それこそが、「政治」の役割ではないでしょうか？人類はそれを目指し進歩してきたのであり、日本国憲法は、その象徴ともいえるのですから、あえてそれと逆行する改憲を行うべきではないと私は思います。<br />
個人の正当防衛とは違い、自衛戦争では、“国を守る”という抽象的な目的のために、何ら不正な侵害を行っていない個人を攻撃することになります。戦場の兵士は、いまここで自分を狙っている敵の兵士を撃ち殺すだけではありません。いったん戦争が始まれば、相手側の兵士はすべて攻撃対象になりますし、民間人を巻き込むこともあります。正当防衛との違いは明らかです。ですから、個人のレベルの正当防衛を、国家の自衛戦争と同列に語るべきではないのです。 <br />
そしてもちろん、「平和」は“平和・平和”言ってりゃ達成できるものではないと思います。もちろんその平和への「想い」は大切ですし、たしかにあの悲惨な戦争を体験した方々にしてみれば、戦争だけはしてほしくないと思うのは当然のことだと思います。<br />
やはり、そのためには、戦争を起こさなくてもいい「経済」＝「経世済民」（世を治め人民を救う）としての「経済」が必要だと思います。このままアメリカ追随の経済戦略を続けていれば、何年かに一度は必ず戦争をしなければならないのは、少なくともたしかだと思います。 <br />
《自分》だけが幸せになればいい。《ニッポン》だけが経済成長すればいい。《自分》の幸せのためには、「他者・他国」を蹴散らしてもいい。生き残るのは《自分》だけだ。<br />
いつからニッポン人は、こんな発想しかできなくなってしまったのでしょうか。弱いものがさらに弱いものを叩く。生活保護者へのバッシング、女性へのバッシング。。。この格差・不平等な社会が拡大すればするほど、「やさしさ」を失い切羽詰った弱いものがさらに弱いものをたたく言説が広がる、本当にそんな社会になってしまっているのではないでしょうか。<br />
というようなことを風呂屋で出会ったおっちゃんに言いたかったのですが、のぼせそうだったので、あっさり帰宅してきました。家に帰ってから再度、即効で復習。以下の本を一部引用しながら、上記の文章を書きました。<br />
<table  border="0" cellpadding="5"><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901510339/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ec1.images-amazon.com/images/P/4901510339.01._SCMZZZZZZZ_.jpg" border="0" alt="高校生からわかる 日本国憲法の論点" /></a></td><td valign="top"><font size="-1"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901510339/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">高校生からわかる 日本国憲法の論点</a><br />伊藤 真 <br /><br />トランスビュー  2005-07-05<br />売り上げランキング : 36308<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901510339/kawagoehighba-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html" >G-Tools</a></font></td></tr></table>。<br />
私はお風呂屋さんが大好きです。いろんな立場の人が、まさに裸の付き合い。立場を越え、身分を越え、人々が共に集うお風呂屋さん。そんな「公共空間」が、お風呂屋さんに行くとあるような気がします。<br />
<strong><font color="#0099FF">あおと功英は、杉並のお風呂屋さんを守ります。</font></strong>
<br />]]>
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   <title>「反対」することに反対する風潮</title>
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   <published>2007-02-15T13:07:40Z</published>
   <updated>2007-02-15T13:34:53Z</updated>
   
   <summary>異なる立場の人といかに「対話」をするか、これが日々の私の日課です。本日も「あおと...</summary>
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      異なる立場の人といかに「対話」をするか、これが日々の私の日課です。本日も「あおと」に対し、有権者の方からダメ出しをいただきました。よく耳にする一般的なダメ出しに関し、紹介したいと思います。
      <![CDATA[<br /><strong>社民党かー。俺は嫌いだ！！反対ばかりしているじゃないか！！もっと自民党みたいに、独自の政策提言を行ったらどうなのか！！？</strong><br /><br />

あおと：たしかにそうかもしれません。ただ、自民党も、一見すると独自の政策提言を行っているようにも見えますが、要はアメリカからの《改革》要求どおりの《改革》を行っているだけではないでしょうか？？？（得意の作り笑い）<br /><br />

（略）<br /><br />

<strong>お前に投票はしないけど、がんばれや。</strong><br /><br />

あおと：ありがとうございます。また来ます。<br />（心の中では、時間がないので無理かもしれませんとつぶやく）<br /><br />


▼次の有権者さまからのダメ出し。<br /><br />

<strong>社民党は、ただの反対政党だから嫌い。</strong><br /><br />

あおと：たしかに社民党はよく、ただの反対政党だ！と言われます。またそういった反対！反対！ばかり言うことに、多くのみんなが嫌気がさしているのも事実かもしれません。ただその結果、ここ数年、本当に、《反対することに反対する風潮》、つまりはすべて《賛成》して《みんな同じ》になろうとする風潮が強まっているような気がしています。<br />
「自分」の「理念」で行動するよりも、《みんなで同じ》になってバンドワゴン！！つまりは《勝ち馬に乗ろう！！》みたいな風潮が気が狂うほど強まっていると思います。<br />
私はあえて言います。《勝ち馬》に乗りたい人は、自民党や民主党を支持すればいいと思います（いや、そんなことはありません。社民党をお願いいたします。）ちらにみ私は「社民党」ですから、勝ち馬でもなんでもありません。ただの「負け馬」です。ただ、ただの「負け馬」ですが、《勝ち馬に乗る》という風潮に同調することだけはしたくない「負け馬」です。<br /><br />

たしかに社民党、反対のための反対ではなく、時には提案も必要だと思いますが、だからと言って、反対することに反対する風潮だけは、まったくもってデンジャラスだと思います。もちろん、《みんなで仲良く》やりたい人にとっては、「反対」の声はウンザリするかもしれません。しかし、その《みんな》とは、本当に「みんな」なのでしょうか？その《みんな》の中に、「異なる」意見を持つ「他者」は含まれているのでしょうか？<br /><br />
このご時世、「ノイズ」に対する「免疫力」が減っている人が、たくさんいる気がいたします。もちろん社会状況が変わり、《自分》の周りは《みんな仲良し》という《共同体》が崩壊し、多くの「他者」と関わらねばならない状況では、一方で逆に、とにかく「他者」と関わらずできるかぎり《自分》と《気が合う人》だけでウチワを固める、そして「他者」を排除することでウチワの《一体感》を強めようとする動きが出てくるのも当然かもしれません。しかしその結果、お互いがお互いを排除しあう、本当に殺伐とした社会になっていくと思います。<br /><br />

そういった動きをなんとしても変えたい！！だから私は「社民党」なのです！！「私」と「他者」とが「違い」を認め合い、真に「みんな仲良し」の社会を作る。それが私の信条なのであります！！<br />

と高らかに宣言し、以上のことを３０秒くらいで語ったつもりですが、おそらく伝わっていないなぁと思いショボクレました。仕方がないので格安チョコレートを食べて、無理やりテンションを上げて、アゲアゲで行動を続けようと思った、「春の嵐」を感じる本日なのでありました。<br /><br />

そしてふと、ある和歌を思い出す。<br /><br />

<strong><font color="#3366FF">袖ひちて　むすびし水の凍れるを　春立つ今日の風やとくらむ　by紀貫之</font></strong><br /><br />

「春の嵐」。花粉症を感じるこの季節だが、「春」というのは、たしかに希望の季節かもしれない。新しい生活が始まる。それが春のスタートである。<br />
しかし、その「春」の訪れは、「嵐」と共にやってくる。決してそれは、穏やかな道のりではない。しかしそれでも、「春の風」が凍った水面を溶かすように、たしかに「春」はやってくる。<br /><br />

♪ア～ラシを、起～こして、、<br />
と思わず工藤静香のこの曲を歌いながら、あの直角ダンスをしたくなったのであります。<br />]]>
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   <title>バレンタイン監督</title>
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   <published>2007-02-14T15:51:47Z</published>
   <updated>2007-02-14T15:59:47Z</updated>
   
   <summary>今日は、たくさんのファンの方から、チョコレートを頂戴しました。チョコレートをくれ...</summary>
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      今日は、たくさんのファンの方から、チョコレートを頂戴しました。チョコレートをくれた皆々様、まことに感謝申し上げます。ジャニーズ事務所の一員になったのかのような錯覚を起こしました。朝から宅急便で、段ボールに入った山ほどのチョコレート。本当に涙が出そうなくらい小泉元首相なみに感動いたしました。
      <![CDATA[<br />
<strong><span style="font-size: large">というような妄想しながら、ふりしきる雨の中、ビショビショになりながら、地道に活動しておりました。</span><br />
<span style="font-size: large">明日はきっと売れ残りのチョコレートが格安価格で売っているかと思うので、即効で買いにいきたいと思います。</span></strong>]]>
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   <title>ケロロ軍曹</title>
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   <published>2007-02-10T12:44:15Z</published>
   <updated>2007-02-10T14:07:51Z</updated>
   
   <summary>最近、よく公園でうなだれています。選挙に落ちたら、きっとみんなに笑われるんだろう...</summary>
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      最近、よく公園でうなだれています。選挙に落ちたら、きっとみんなに笑われるんだろうな～（今でも世間の笑い者になっている、というウワサもありますが）。きっとみんなにバカにされ、笑われ、嘲笑され、失笑され、etc。。私には、そうやって世間の笑い者にされている友人知人がたくさんいるので、思わず共感しておりました。
      <![CDATA[<br />この社会をよくしたいんだ！！というモチベーションも、ついつい社民党に何ができるんだ！！社民党なんか嫌いだ！！と散々言われると、さすがの自称「ヨゴレ」の私もへこみ加減の今日この頃です。<br />
そんなワケで、公園でうなだれていたら、その私のあまりの脱力感に、子どもたちが興味を抱いて寄ってきてくれました。<br />
何してるんですか？<br />
最近の子どもは、きちんと敬語を話せるようである。<br />
何もしてないよ。<br />
私はここ数年、何してるんですか？と問われると、何もしてないです。と応えるクセがついていたため、思わず、かわいい子どもたちに「何もしてないよ」と応えてしまいました。
昨今の、やれ《チャレンジしろ！！》だの《自己実現！！》だのと強迫的に煽ってくる言説に対して、「何もしない自由」だってあるのだ！！といつも心の中でつぶやいていた私としては、「何もしない自由」がなければ「何かする自由」もないのだよ子どもたち！！と教えたくなりましたが、これだから左翼の主張する教育はダメなんだ！！と《道徳》的な人たちに怒られるかと思い止めておきました。<br />
そこで、こう子どもたちに聞いてみました。<br />
ＹＯＵたち、最近、何が流行ってんの？<br />
そしたら、こういう応えが返ってきました。<br />
<strong><font color="#00CC66" size="+3">ケロロ軍曹であります！！</font></strong><br />
それを聞いた私は、即効で、ネットで調査したのであります。どうやら、ガンプラ（ガンダムのプラモデルの略）ばかりやっている、きわめて「脱力」系のヒーロー、それがケロロ軍曹のようであります。かつてのマッチョないかにも勧善懲悪的な正義の味方ではなく、「脱力」系のヒーローが、子どもたちの間で流行っているようであります。子どもたちの時代を捉える感性はすばらしいなぁと思ったのであります。<br />
思いっきり公園で「脱力」していた私ですが、思わず子どもたちにパワーをもらったので、私の大嫌いな街頭演説をやることにしたのであります。<br />
そしたら、地元の連中が応援に駆けつけてくれたのであります。君たち、社民党員の応援をするのである！！ヘルメットはいらないのか！？マスクはいらないのか！？サングラスはいらないのか！？そんな無防備では催涙スプレーにやられるぞ！！公安当局にバレタラ逮捕されるぞ！！会社をリストラされるぞ！！と言ってやったのですが、“い～よ”というきわめてロストジェネレーション的な脱力した答えが返ってきたので、写真を撮ることにしてあげたのであります。<br />
しかし、そうは言っても、顔バレするのはかわいそうだと思ったので、みんなでケロロ軍曹に「変身」することにしたのであります。<br />
<img alt="keroro.jpg" src="http://aotokoei.com/blog/keroro.jpg" width="379" height="228" /><br />
▼ケロロ軍曹（byテレビ東京）　<a href="http://www.sunrise-inc.co.jp/keroro/index.html"  target="_blank">http://www.sunrise-inc.co.jp/keroro/index.html</a><br />
ワレワレは、ケロン星人であります。ゲロゲロ、ゲロゲロ。下呂温泉なのであります。三十路を過ぎているのに、ピースをして写真を撮っているのであります。きわめてナウいのであります。テレビ東京には、たとえ他の放送局が権力に乗っ取られ大衆洗脳・大本営発表放送をしているときでも、アニメを放送していてほしいのであります。株の番組なんていらんのであります。テレ東は、アニメかギルガメッシュナイトを放送していてほしいのであります。イジリー岡田を、毎週テレ東で見ていたいのであります。]]>
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