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あおとのブログ

Aoto's Weblog

2007.04.08

社会はどーせ変わらない

社会はどーせ変わらないじゃん。


とナウなヤングに飲み屋で言われました。政治と宗教ネタは禁句の飲み屋で最近よくからまれる。みんな不満が溜まっているんだろうと感じる。その人の不満は、怒りは、どこから来るのか、それを見極めたいと話を聞きながらいつも思う。


社会はどーせ変わらないじゃん。


しかし、そのナウなヤングの思いとは裏腹に、社会はどんどん変わってきた。《改革》という言葉が象徴するように、社会は《改革》され、変わってきたのである。


社会はどーせ変わらない。そうであるならば、この社会で生きていくためには、自分を変えるしかない。自分を変えることができないのは、自分の責任、《自己責任》。社会で認められ、他人(市場)に評価される人間になれるよう、自分を変えていくしかない。


《自己啓発》の本を読めば、時に“やる気”は出る。クスリを飲めば、時にテンションが上がる。ミクシー(SNS:Social Network Service)や出会い系をやれば、なんとなく寂しさは癒すことができる。いずれにせよ、自分は変わったように感じる。しかし、そのテンションは続かない。
この変わり続ける流動的な社会で生きていくのは、正直シンドイ。


《自己実現》できるかどうかは、《自分》次第。しかしこの社会で《自己実現》するには、シゴトを通して市場に評価される人間になるか、カイモノを通して《自分》を満たすか、それくらいしかないのではないか。《シゴトによる自己実現》と《消費による自己実現》。すべてが数値化され、モノもココロも「売ってはならないもの」も価格表示されるこの《消費社会》において、《自己実現》。しかしその実現すべき《自分》というのは、「自分」ではなく、市場によって規定された《自分》でしかない。すなわち、この社会で《自己実現》するということは、逆に言えば、「自分」を捨てることではないのか。この社会で《自己実現》しようとすればするほど、この世にただ一人の「自分」を捨て、市場でいつでも他人と交換可能な《自分》にならねばならない。


《自分》が死んでも誰も悲しまない。。。そういう思いを抱いているヤングによく出会うが、《自分》の替わりはいくらでもこの社会にいるのである。《自分》と同じよな人間は市場にいくらでもいいるのである。何か条件を入れて、検索すれば、いくらでも見つかるじゃん。
社会で生きていく意味を見出せなくなるのは当然かもしれない。


社会はどーせ変わらないじゃん、と思い込む・思わざるをえない人が増えれば増えるほど、この社会は権力の思うままに《改革》され、どんどん変わっていく。そしてワレワレは、《自己責任》を迫られる。そして《(再)チャレンジ》を迫られる。


社会はどーせ変わらないじゃん。だから、なんとなく、何かやってくれそうな人に投票しよう。そして、当選した何かやってくれそうな人たちはいろいろやってくれた。いろいろ《改革》してくれた。社会をいろいろ変えてくれた。“人生いろいろ会社もいろいろなんです”社会になりました。


私、あおとは、こういう社会にまったく興味がない。市場で評価されることにまったく興味がない。だからこそ逆に、こんな社会は変えたいときわめて冷静に思うのかもしれません。


(追伸)
上記の文章は、飲み屋でからまれて酔っ払いながら書いた文章ですので意味不明かもしれません。

投稿者:aoto | 2007年04月08日 03:33

コメント

いつもお世話になっております。ご両名様、コメントありがとうございました。

>ふわ様(元・部下!?)
いろいろアレですが、今度飲みましょう。鹿倉先生を4649お願いいたします。

>o-tsuka 先生
いろいろアレですが、今度ガンダムの講義をお願いいたします。今後ともご指導、4649お願い申し上げます。

ご両名様、ご声援まことにありがとうございました!!

世の中変わらないなんて、そんなすごい自信を持っている青年は「セカイ系」に違いありません!

じっさいは、ほっとくとヤな方に変わると思うんだけどなー。

文京区長選、先輩の鹿倉が出ます>ふわさん

当方文京区民でアレですが、御健闘をお祈り申し上げております。

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