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あおとのブログ

Aoto's Weblog

2006.11.27

ウンチングスタイル

その日、僕は「ウンチ」を漏らしました。


今から思えば、

これが「私」の原点だったのかもしれない。。。




その日、僕は朝から、風邪をひいて下痢になっていました。

なんとか幼稚園に着いたものの、

お腹が痛くて我慢できなくなりました。





もうどうしようもなくなって、

トイレに駆け込もうと必死になりました。

でも、あとちょっとでトイレという所でやってしまいました。



漏らしてしまいました。



僕は思わず泣いてしまいました。



とりあえず先生が来てくれたので、

なんとか落ち着きを取り戻しました。

お腹痛いのがおさまったので、僕は教室に帰りました。



するとどうでしょう。

僕がぞう組のドアを開けると、教室のみんなが一斉に、

「もーらーし、もーらーし」と、

シュプレッヒコールをあげているではないですか。





僕は席についてからも、恥ずかしくて恥ずかしくて

たまりませんでした。

ずっと、うつむいたままでした。



しかしその時、

隣に座っていたある一人の子が僕にささやいてくれたのです。



お腹、治った?



僕は嬉しくてたまりませんでした。

とにかく嬉しくてたまりませんでした。



今から思えば、これが「私」の原点だったのかもしれない。。。

私はこの時のことを、今でも忘れることができない。



教室中のみんなが

「もーらーし」とあびせかける中で、

隣に座っていた彼だけがそっと僕にささやいてくれた

“お腹、治った?”の一言。



私は忘れることができない。



 


投稿者:aoto 01:31 | コメント (316)

2006.11.22

ガケっぷち

朝っぱらから、テレビは“ガケっぷちワンちゃん”報道一色です。ガケっぷちアイドルと言えば、くまきりあさ美ですが、まさに時代は“ガケっぷちだなぁ”と思いました。今まさに、この私も、いろんな意味で“ガケっぷち”です。

ところで、精神科医でエッセイストの斉藤茂太さんがご逝去されました。「人生にユーモアを」と斉藤さんは本に書かれていました。私もよく、コンビニに置いてある自己啓発系の文庫本コーナーあたりで、斉藤さんの本を手に取ったことを記憶しています。


私の人生も「ガケッぷち」ですなどと書くと、ふざけたことをブログに書くななどと多々言われますが、やはり私としては「ユーモア」を大事にしたいと常々思っています。なぜなら、「ユーモア」には「私」を「自由」にする力があるからです。ちなみに私の卒論のテーマは、ズバリ、「マゾヒズム」でした。



昨今、「気に食わない」・「ムカつく」といった、要は価値観の「違う」他者に対して《皮肉》を言って、少しでも《自分》がラクになろうとするコミュニケーションが横行しているかと思います。 たとえば、「他者」を皮肉ることで面白がって《自分》の優位性を保とうとする《笑い・哂い》を、テレビのバラエティ番組などでよく見かけます。ちなみに日テレの『エンタの神様』あたりに出てくるお笑い芸人は、ほとんどが《皮肉る笑い》か《あるあるネタ》ばかりでかなり私は飽きています。その意味で、きわめて「自虐的」なネタを得意としていた“ヒロシです”はよかったのですが、ただ、《あるあるネタ》に近かったのが難点でした。


もちろん時として、《自分》の《正しさ》をプロパガンダし、その《正しさ》を信じ込んでいる者に対して皮肉ることは有効なときもあるかと思います。権力者を皮肉る「パロディ」などはその例かと思います。


ちなみに私の崇拝していたザ・ドリフターズのコントは、やはり史上最狂であったと私は今でも思います。もちろん暴力はよくないと言ったご批判もあるかと思いますが、彼らは絶対に昨今ハヤっているような「他者」を「バカ」にするようなコントはしませんでした。あくまでも「自分」たちこそが「バカ」に徹していました。



ちなみに『8時だよ全員集合』という「オバケ」番組がありましたが、そこにはかつて「小人プロレス」の人たちも登場していました。映画監督の森達也さんが映像に記録しています。

▼森達也公式サイト
http://www.jdox.com/mori_t/works.html

▼『君は小人プロレスを見たか』(幻冬舎・高部雨市)

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高部 雨市

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体に「障害」のある人たちをテレビに出演させること。 《みんな》の「笑い者」としてさらけだすのは可愛そうだ、 という怒りの投書があったとのことですが、 それは「醜い物」を見たくないという《健常者》の、《マジョリティー》であるがゆえのエゴにすぎない!と本書は語っています。



《みんな》とは「違う」。《自分》とは「違う」。つまり、《みんな=自分》とは違う「他者」に対して、よく《みんな》は、なんだアイツは!とかキモイ!とかウザイ!とかバカじゃねーの!とか言って「他者」を排除する方向性に向かったりします。そんなとき、「キモイ私」「バカな私」、そして「負け組である私」であることに人は悩み、できるだけ《みんなと同じ》になろうと、《イケテル勝ち組》になろうと必死に《再チャレンジ》しようとしたりします。もちろん、そんな《再チャレンジ》などに興味のない人は「引きこもったり」もします。

ちなみに「ひここもり」には、正直「やさしい」人が私の実感では本当に多いと思います。「ひここもり」は「だらしがない」と言った言説、いわゆる昨今ハヤっている若者バッシングによって、《わかった》気になり、その背景にある社会構造への冷静な分析が忘却されているような気がしてなりません。たとえば、「ニート」・「フリーター」への「だらしがない」批判によって、その背景にある労働環境の変化に対する冷静な視座が、ここ数年本当に欠けていたと思います。



他者を皮肉ることよりも、まず《自分》を皮肉る。他者をバカにするなら、まず《自分》をバカにしてみる。「バカ」な「私」、「弱い私」、「負け組」としての「私」、「難民」としての「私」、「マイノリティー」としての「私」、すなわち、《自分》の中にある「マイナー性」を想像すること、《自分》のなかの「他者性」を想像すること、「他者」に「汚染」されている「私」を想像すること、それが「他者」への想像力につながり、それが「マゾヒズム」の真髄であると私は考えています。それは時に、人生を豊かにし、豊穣にし、面白くする。つまり、「ユーモア」のある人生になるのではないかと思います。



「私」とは「他者」に「汚染」されている。これぞ「マゾヒズム」の真髄。きわめて美しいと感じます。《自分と同じ》者同士で固まること、すわなち他者に「汚染」されていない純真無垢な《ピュア》な共同体、つまり《美しい国・愛国心》にはまったくもって辟易いたします。



 


投稿者:aoto 09:22 | コメント (644)

2006.11.21

やっぱり経済発展の方が必要なのか

失業率が全国一高い県、オキナワ。その沖縄知事選で、敗北した。気が狂うほどの吐き気をもようした。


「平和」よりも日々の《現実》的な生活をなんとかしてもらいたい。それが失業率の高い沖縄の人たちの望みであることは、想像に難くない。“《現実》的な対応”を訴えた仲井真氏が、糸数さんに勝利した。《現実》に敗北したのである。もちろんその《現実》とは、《虚構》なのだが。

http://www.excite.co.jp/News/politics/20061119224700/20061120M10.123.html

以前、コイズミさんはこんな発言をした。

“成功者をねたむ風潮、能力のある者の足を引っぱる風潮は
厳に慎んでいかないとこの社会の発展はない。
成功者なり才能のある者を伸ばしていこうという面も必要じゃないか”


そして“《社会》が発展”した結果、貧富の差はどんどん拡大している。
東京と地方の貧富の差もどんどん拡大している。


経済が発展することが、《社会の発展》というのであれば、
発展しているのはごく限られた《人間》だけである。

今、《国際競争力》だの何だのと言っては、
《競争力のある人間》のみを優遇する政策が行われている。
もちろん、その裏には、多くの「敗者」がいる。多くの「他者」がいる。


たしかに、アメリカンスタンダードの下で《国際競争力》をつけたいなら、
《競争力のある人間》のみが優遇されるような《社会》を作るべきであろう。
成功者をねたむ風潮、
能力のある者の足を引っ張るような風潮の下で、
この社会は《景気回復》しているわけだから。
憲法も改正すべきであろう。


しかしながら、コイズミさんはたしかに言っていた。
“成功者をねたむ風潮、能力のある者の足を引っぱる風潮は
厳に慎んでいかないとこの社会の発展はない。”

そうであればこそ、
「成功者がねたまれないような」政策
つまり「再分配」こそが必要であると考える。


そうでなければこの《社会》は、
まさにコイズミさんが危惧していたような風潮、
すなわち成功者・中国をねたむ風潮、
経済力をつけてきた中国の足を引っ張るような風潮、
憎悪と怨念が渦巻き、
きわめて陰湿な「いじめ」
強がりな弱者(プチナショナリスト)が蔓延する
きわめて汚い美しい国になってしまうであろう。


たしかに、今回の沖縄知事選では敗北した。
しかしそこには、希望も感じた。
それが敗北であっても、
それは決して、大敗ではなかったからである。

投稿者:aoto 01:47 | コメント (2)

2006.11.18

藤原紀香

紀香が結婚するんだってーーー

これは私としても、まったくもって許しがたい報道である。


紀香が結婚!!なぜこの時期に!!

私は気が狂うほどの怒りを覚えた。

私は大して藤原紀香のファンではなかったが、このニュースには、ちゃんちゃらおかしくて脱糞しそうになった。いや、それが結婚!!ではなく、結婚を前提にしたお付き合いであったとしてもである。ちなみに私は、紀香ではなく、紀子のファンである。加藤紀子である。三重県出身のみずがめ座である。



その前日には、西武の松坂がどこのメジャー球団に行くか、もったいぶってなかなか発表されなかった。

そして松坂がレッドソックスに決まったー!!となったら、続いて藤原紀香が結婚ーー!!ということで、マスコミ報道はそんなネタ一色になってしまった。



その間、“未履修問題”とか“いじめ問題”とかいろんな“問題”が報道されていたが、もっとも肝心の教育基本法《改正》に関しては、ほとんどまったく報道されてこなかった。“未履修問題”“いじめ問題”によってカモフラージュされていたのではないか。《改正》だの《改革》だの、《美辞麗句》を並べて、その裏でコソコソ《汚い》ことをやる。《美しい国》とはまったくもって《汚い国》である。

《美》の暴力性というものを感じざるを得ない。《愛国心》、《ファシズム》、《ナチス・ヒットラー》、それらはえてして、 「汚物」を排除し、「非国民」を排除し、《美》によって《国民》を魅了、そして統合してきたものであった。



今、教育基本法が強行に《改正》されようとしている。

現行の教育基本法では、まず冒頭、以下のように書かれている。



われらは、さきに、日本国憲法を確定し、

民主的で文化的な国家を建設して、

世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。

この理想の実現は、

根本において教育の力にまつべきものである。




「日本国憲法」と「教育基本法」。

まず、「憲法」において「理想」が示され、この「理想」を達成すべく、「教育」の力で民主的で文化的な国家を作っていこうと「教育基本法」は宣言したのである。

「日本国憲法」と「教育基本法」。

今、この密接に関係している憲法と法律のうち、一方の教育基本法が《改正》されようとしている。《改正》されれば、そのあとに待っているのは、もちろん日本国憲法の《改正》である。ものすごい加速度で、《美しい国》が作られようとしている。それは言ってみれば、《大日本帝国憲法》と《教育勅語》が支配する《美しい国》である。そしてその《美しい国》の兵隊は、もちろん《格差社会》の「負け組」、ワレワレ「貧困層」である。



なんだかアベさん、今度は中田ヒデと会ってるらしい。藤原紀香、出馬?!中田ヒデ、出馬!?みたいなニュースで、マスコミ報道が塗り固められ、《美しい国》がどんどん作られていくのではないか、と危惧せざるを得ない。
明日の沖縄知事選、「沖縄」が《オキナワ》にならぬよう、なんとしても糸数けいこさんに当選してもらいたい。



投稿者:aoto 15:02 | コメント (0)

2006.11.12

「保守」と「共感」

昨日、先輩に呼ばれ、大学のOB会に出席してきました。まわりは、私の大先輩ばかり。いかにも重鎮という感じの人ばかりでとても緊張いたしました。


思えば私の知人は、はっきり言って社民党嫌いの人たちばかりです。さらに言えば、私は幼い頃から、まわりはいわゆるサヨク嫌いの人たちばかりでした。

親はバリバリの保守。『国家の品格』などは大好きです。小学校・中学校時代、卒業式の日の丸・君が代は当然。中学時代の校則は、男子は丸刈り、女子はおかっぱ。ボンタンズボンなど履いていった暁には、放課後職員室に呼ばれ、当然のごとくに体育教師による糾弾が始まりました。友人・知人も“勝ち組”ばかり。大学の後輩は、“プチナショナリスト”ばかり。しかし私は「社民党」。いや、それでも私は、「社民党」。おかげで、みんなに嫌われている今日この頃です。

ただ、そうした「保守」と呼ばれる人とお話をしていて、なんだか最近、やけに「共感」してしまうことがあります。そういえば先日、社民党は読売新聞の渡辺恒雄氏と勉強会をやりました。

そして昨日参加した大学のOB会。まわりは全員、真正「保守」の先輩方でした。はたしてこのブログに書いてしまってよいのか難しいところですが、そのOB会にて、民主党の藤井・元大蔵大臣の講演がありました。


waseda1.jpg


藤井さんは、これはあくまでも党ではなく個人の意見というスタンスで講演されていました。その講演にて藤井さんは、岡倉天心・孫文などを引用しながら「アジアは一つである」というお話をされていました。そして、エリート教育はたしかに大事である、しかし、真のエリートを育てるためには、みんなを教育しなければならない。一部の者だけに《エリート教育》をほどこしたところで、真の「エリート」は育たない、というお話をされていました。そして日本。日本は、「平和」・「環境」に関する分野で、世界に訴えかけていかねばならない、とおっしゃっていました。

そのあとの懇親会の席で、藤井さんにご挨拶ならびに名刺交換。民主党ではなく、社会民主党の青砥です。怒られるかと思いましたが、そっかーがんばりなさい。昨年の選挙で票を伸ばしたのは社民党です、というお言葉をいただきました。さらにその後、OB会のご好意により、この私に挨拶の時間まで設けてくださいました。挨拶のあと、社民党は嫌いだけど、お前のことは応援するから、というお言葉を恥ずかしながらたくさん頂戴いたしました。複雑な気持ちになりました。

そして重鎮の皆様に促され、二次会の飲み会に出席。
今、ニッポンは、《嫌中ムード》一色でアメリカにヘコヘコと必死であるが、もし、アメリカと中国という二大大国が同盟でも結んでしまったら、本当にニッポンは世界からとり残されるぞ、というような話まで飛び出しました。

コイズミさんがぶっ潰す前の自民党を支持してきた人、そして真の「保守」と呼ばれる人々、決して社民党の“敵”ではないと思った一日でありました。

むしろ心配なのは、こんなことをブログに書いてしまって関係各所から批判がくるかもしれぬ、ということです。が、こんなことを「自由」に言える政党、それが「平和」と「環境」を大事にする「社民党」です。共謀罪には断固反対です。

投稿者:aoto 23:19 | コメント (3)

2006.11.10

現実に抗う

日本国憲法前文

憲法前文、末尾の一文が好きだ。

日本国民は、

国家の名誉にかけ、

全力をあげて

この崇高な理想と目的を

達成することを誓ふ。



私、あおと功英も、
全力をあげて
この崇高な理想と目的を達成すべく
この杉並で
行動してまいります。

投稿者:aoto 10:05 | コメント (2)

2006.11.07

ぼちぼちスタート

はじめまして。青砥功英(あおとこうえい)と申します。社民党杉並総支部にて、地域政策担当を勤めております。ここのところ世間の風当たりの強い社民党ですが、社民党も必死に皆様からの声を聞き、なんとか「へこたれへん」(by辻元さん)ということでがんばっております。

ところで、この《格差社会・不平等社会》=《「他者」に不寛容な社会》=《「他者」を「敵視」し今にも戦争に突入していきそうな国》において、社民党が守ろうとしている「憲法」、そして「社民主義」の理念は、きわめてその存在意義が増してきているように感じます。そして、だからこそ、私はあえて「社民党」を選びました。

実は、私がそんな社民党に入党したのは、昨年の総選挙の後です。私はこれまでずっと「フリーター」でした。ちょうど私の同世代は、バブル崩壊後の“就職氷河期”と言われ、やむをえず「フリーター」になった知人が多くいます。もちろん、就職できないなら、ヤリタイコトをやっていこう!ということで、「フリーター」を続けながらバンドや演劇の道に進んでいった知人も多くいます。しかし、だからと言って、そんな「フリーター」が実際に一年中ヤリタイコトをやっていたかと言うと、そんなことはありません。「フリーター」として生きていくにも、なんだかんだで週5日・8時間以上は働かなければいけない状況でした。すなわちそれは、労働基準法が定める“法定労働時間”以上働いてるということであり、「まともな労働者」であったということに他なりません。

にもかかわらず、「まともな労働者」としての権利はありません。「フリーター」になるのは《自己責任》だ、スキルが足りないからだ、だらしがないからだ、努力が足りないからだ、つまり「負け組」になるのも《自己責任》だということで、本当は社会の問題であるのにもかかわらず、すべては《自分がいけないんだ、、、》と思い込まされ、したがって《自分一人》のココロの中で日々悶々とモガイテいる若者がたくさんいます。そして時には、そんな《自分》を包み込んでくれるような《愛国心》というものにスガリ、なんとか《自分》の存在を認めてもらおうとしている子もたくさんいます。

なんだか最近、マスコミを通して《景気回復》と宣伝されていますが、果たしてどれだけの人がその恩恵を受けているのでしょうか???たとえば《景気回復》のおかげで、「フリーター」から《正社員》になった知人も多くいます。しかし、実際はどうかというと、経営者からは《仕事を通して自己実現しろ!》と言われ、そうだ!《自己実現》のためなんだ!と言っては残業代も支払われず、毎日終電・下手したら始発で帰って、またすぐに出勤するというような生活を送っている人が本当にたくさんいます。さらに、《民営化》によって、利益の上がらない「公共サービス」はどんどん切り捨てられています。たとえば、《障害者自立支援法》。これまでなんとか「支えあいながら自立」していた「障害者」の方々が、《自立》を強迫されているがゆえに、とても苦しい状況に置かれています。

《自立》《自己責任》《民営化》《愛国心》よりも、「支えあい」・「助け合い」・「平等」・「平和」、そしてだからこそ成り立つ「自由」。これらを訴えているのが「社民党」であり、そしてだからこそ、私は「社民党」を選びました。

そんなワケで、この“あおとブログ”では、“あおと”が日々感じ・考え・行動したことを一人ボケ・一人ツッコミというスタイルでお伝えしていきたいと思いますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。開店休業状態にならないよう、気合入れてやっていきたいと思います (^O^)ウホホ



やるっきゃない!

やるっきゃない!

by土井さん



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投稿者:aoto 18:46 | コメント (5)